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![]() ● 古代ヨーロッパの色彩 紀元前4世紀頃に古代ギリシャで人類最初の色彩論が現れ、プラトンやアリストテレスが「色彩とは何か」ということについて書き残している。 プラトンとアリストテレスの色彩論は後世のヨーロッパの色彩文化に長い間にわたって影響を及ぼした。
ギリシャ文明を受け継いだ古代ローマ人は、多種多様な色彩表現材料を発見し、豊かな色彩語彙と多彩な表現技術を発展させ、当時の色彩文化の水準を高くした。
一方、古代中国や古代インドでも多くの染料、顔料が発見され使用されていたことが知られている。 にもかかわらず、ヨーロッパとその他の地域の間に大幅な色彩に関する知識や表現技術の違いが生まれたのはなぜだろう? ヨーロッパの色彩文化には、色彩を認識するだけでなく、本質を理解しようとする欲求が強く、他の地域にはその認識が足りなかったためらしい。 ● 中世ヨーロッパの色彩 プラトンの「混色して新しい色を作り出すことは神に対する冒涜行為」が受け継がれており、例えば、黄色と青色を混ぜて緑色を作ることは行われておらず、自然物から孔雀石、石緑などの天然緑色顔料やクロウメモドキの実から作られたサップグリーンとか葱の汁を代用していた。 そのため、ヨーロッパでは他の地域よりも豊富な種類の着色材料が発見されている。 ● 近世ヨーロッパの色彩 (16世紀〜18世紀) ルネッサンスと呼ばれる時代に、万能の天才といわれるレオナルド・ダ・ヴィンチが現れ、解剖学や透視図法、明暗画法などの新知識に基づいて、対象を忠実に表現するヨーロッパ独特の美術が始まった。 さらに、この時代から使用され始めた油絵の具によって、混色による写実的表現が可能になり、神話や聖書までも実在感をもって描かれるようになった。 この時代に大航海時代が始まり、いろいろな資源がヨーロッパにもたらされ、中にはコチニール介殻虫を原料とするカーマイン染料などの着色原料も含まれ、この時代の絵画論には、絵の具や染料の種類やその混色技法や、色彩の対比現象、色彩調和についての記述も見られる。 17世紀になると光に関する化学的研究が始まり、ケプラー、スネル、ホイヘンスなどの光学研究はニュートンのスペクトル発見に結実する。 光に関する関心は、画家達にも共有され、カラヴァッジオ、ルーベンス、レンブラント、ヴェラスケスなどにつながるバロック美術が生まれた。 フェルメール、ジョルジュ・ド・ラトゥールなども17世紀の代表的な光の画家である。 絵画表現に光と闇を対比させ、初めて光学的に正確な明暗が法を実現したのは、バロックの画家達であった。
18世紀は、啓蒙主義の時代であり、ロココ様式と呼ばれる美術、工芸に代表されるような、洗練された宮廷文化の最後の爛熟期でもあり、知識だけでなく、ファッションや遊戯も貴族から富裕な市民階級に広まった。 1704年にニュートンの「光学」が発行されたのをきっかけに、スペクトル光による混色実験が行われるようになり、初めて補色の認識が生まれた。 また、美術家や工芸家は色料の混合から経験的に三原色を意識し、18世紀末にフランスの印刷業者ル・ブロンが世界で初めて赤、黄、青の三原色によるメゾチント印刷に成功した。 ● 近代ヨーロッパの色彩 (19世紀以降) 19世紀、ヨーロッパの時代的関心は、主に人間の視覚に向けられ、ニュートンの「光学」に対する批判から、主観的な色彩現象に注目したゲーテやショーペンハウアーの色彩論が発表され、19世紀初めのヤングの三原色仮説を発展させたヘルムホルツ、マックスウェル、グラスマンなどの色彩理論が生まれた。 さらに、1870年代には、もう一つの色彩理論、へリングの反対色説が発表され、その他にもプルキネ現象、ベゾルド-ブリュッケ現象など、人間の色覚に関する研究や、シュヴルールの色彩の同時対比の法則も発見された。 また、アメリカ人ルードの「現代色彩学」が発行され、色彩の最新知識は当時の文明社会全般に広まった。
19世紀は、分析の科学から合成の科学へ移行しつつあり、この時代に新しい合成無機顔料が次々と発見され、1856年には、イギリスの科学者パーキンにより世界初の合成化学染料が発見された。 これにより、ヨーロッパの語彙は飛躍的に増加し、20世紀前半に編纂された色名辞典に収録された何千語もの色名の80%以上はこの時代以降に発生した。 視覚に関する時代的関心は芸術分野にも波及し、シュヴルールやルードの著書に影響を受けた画家達は美術における色彩革命の開始を宣言(1874年の印象派展覧会:モネ、ゴッホ、セザンヌ等)した。 これ以降の20世紀の色彩文化の発展は、もはやヨーロッパだけのものではない。 |
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